私の不登校の始まりは小学4年生からでした。
学校を休んだり、遅刻することがだんだん増えていきました。
学校で虐められていたわけでもなく、友達もそれなりにいました。
きっかけは当時宗教にのめり込んでいた母。
まだ子どもの私に、
「前世は首切り処刑人、岡場所を経営していて、遊女に酷いことをしていた、海賊だった」「たくさんの霊に恨まれていて、不幸にしようとしている」等。
母は、岡場所や遊女の意味もよくわからない私に、前世がいかに残酷で欲望だらけの人間であったかを必死に説明してきました。
まるで見てきたかのように。
洗脳されていたとはいえ、立派な虐待です。
私は毎晩のように金縛りにあい、悪夢にうなされるようになり、寝ることが怖くなりました。
高学年になると、夜中突然目が覚めて、動悸が止まらず、外に飛び出したり、じっとしていられず大きな家具を持ち上げて移動させたり。そんな状態が1年ほど続きました。
今とは症状が違いますが、もしかしたらパニック発作が起きていたのかもしれません。
その後、なぜか症状が治まると、母は「供養をしたからだ!」とさらに熱心に拝んでいました。
中学に入り、だんだん夜遊びをするようになり、ほとんどの時間を友達と過ごすようになりました。
母と距離ができたことや、自分自身も成長したこともあり、母が騙されていることにも気付きました。
今なら自分が不登校になった経緯を説明できるのですが、先生に「何か問題を抱えているなら言って欲しい」と言われても、自分の状況を上手く言えなかったし、母のことは言ってはいけないことだと思っていました。
私の場合、不登校のきっかけは母でしたが、
自分の特性もあったと思っています。
幼稚園の頃から、何かを強制されることにずっと抵抗してきました。
小学生になると、先生の理不尽な行動に私なりの反発をしたりしていました。
黒いゴミ袋をかぶり授業を受けたり、教室の隅で段ボールに入り立て籠るなど先生を困らせました。
「学校に来るな」とはっきり言われたこともあります。
友達も不登校だったり、自分が母親になってから不登校で悩んでいるお母さんに相談されたりもあったけど、「親の責任」で片付けられる問題ではなく、理由は1人1人違っていました。
不登校の中にはなんか行きたくないけど、自分でもそれが何かわからずに、周囲に納得してもらう為に、最もらしい理由をつけている子もいるかもしれません。
その「何か」を言葉にするのが難しいんだと思います。
私は不登校を経験したと言っても、真面目な不登校ではなくて、行きたいと思えば行くスタイルでした。
不真面目な不登校でしたが、いつも自分の中では正当な理由をつけていました。
小4~中3までは安定して不登校気味だったけれど塾には通い、学校のテストはしっかり受けていたし、友達とも普通に遊んでいました。
親には「義務教育は、学校に行ってなくても卒業できる。高校からはちゃんと行く」と伝えていましたが、そんな話を厳しい父に受け入れてもらえるわけもなく、休んだのがばれたら叩かれたし、教科書を畑に捨てられたこともあります。
親もお手上げで、山の中にある療に入れられそうになったり・・・
高校受験の際は、欠席や遅刻日数が多過ぎて、受験可能な高校を探すのに、担任の先生にはとてもお世話になりました。
学力テストや学校のテストはそこそこ点数をとれていたのですが、体育、美術、家庭科、技術などは課題を提出していなかったり、そもそも授業に出席していなかったりなので、成績は1や2がつけられていました。
後から別の先生から聞いたのですが、担任の先生が「高校に出向き、頭を下げて頼んでいた」と。
高1の成績表の情報が中3の担任に届くと聞いた私は、いつも私に寄り添ってくれていた先生に感謝の気持ちを表したくて、1年間無遅刻無欠席で真面目に通いました。
卒業から10年後の同窓会で先生に会った時、「ちゃんと働いているよ」と言うと、とても嬉しそうに誉めてくれました。
普通のことなんですがね💦