義母の認知症と深まる兄弟の溝

夫の実家に帰省してきました。

初日は予定通り義実家に泊まらせてもらい、翌日からは仙台ロイヤルパークホテルに滞在していました。

私と長女のお気に入りのホテルで、朝食がとても美味しく、庭も美しく、仙台に来たときは毎回泊まります。

 

コネクティングルームにしたので、5人家族でも快適に泊まれました。

 

仙台駅から少し離れていますが、滞在中はレンタカーを借りるので問題なし。アウトレットモールも近く便利です。

いつもは義母も一緒に泊まっていたのですが・・・

当日も誘いましたが、やはり頑なに「私は行かない」と。

 

そして義母の認知症、思っていたより酷かったです。

 

まず、夫と義兄を2度ほど完全に間違い、「あれなんかいつもと違うじゃん。これ(夫を指差し)○○(義兄の名前)だよね?」と私に聞いてきました。

夫と義兄は見た目からして全く違います。

 

私達が泊まった翌日の朝、寝ている部屋に入ってきて、「あれ○○来てるの?(自分の兄の名前)」と言ったり。

 

自分の年齢さえわからなくなっていました(生年月日は言える)。

 

早く受診させなければ‼️と、

私は実母の話をしたりしながら、病院に一緒に行こうと説得しました。

すると「どうせ人は一回は死ぬんだし、義兄がいるから」と、いつも通りの返答。

夫が「俺と兄貴の区別もつかないんだから確実に脳がおかしいでしょ」と言うと、自尊心を傷つけてしまったようで、「そんなこと言われるなんてショック」と。

私も夫もそれ以上何も言えなくなりました。

関係が近いと強くいってしまいがちです。

 

義母は見た目もだいぶ変わっていました。

以前はゴミ捨ての時でさえばっちりメイクをしていたし、私の化粧品や美顔器を勝手に使い、気に入ると欲しいとおねだり(笑)、還暦を過ぎて眉毛をアートメイクにしたいと相談してきたこともありました。

久しぶりに見た義母は、伸びきった白髪頭&ノーメイクでした。体重も5キロ以上太ったと思います。

いっきに10年くらい歳をとった感じです。

 

初日のみ義実家に泊まり、翌日からはホテルに滞在していましたが、朝食後は車で義母を迎えに行き、松島で海鮮丼を食べたり、アウトレットに買い物行ったりしました。

義母との時間は、同じ話しのループでしたが、孫とふれあいとても楽しそうでした。

 

今回の帰省では、義兄がタオルや布団の準備、朝食の買い物、食器洗い、スイカを切って出してくれたり、とても気を遣ってくれたのですが、以前の義兄は2階からほぼ降りてくることはなく、私も今までお客様扱いなんてされたことなかったので(結婚後最初の帰省で「エプロン持ってきた?」でしたから)、義兄には申し訳ないですが、逆に居心地悪かったです。

多分義母が認知症になったので、気を利かせてやってくれたのだと思いますが。

 

今回の帰省で、義兄が義母を何度か怒鳴り付けていてのが、とても気になりました。

 

洗濯物を洗濯ネットに入れなかった。→ベッドシーツでしたが、別にネットに入れなくて大丈夫なものだと思います。

 

お金が入った封筒を無くした(1万8千円)。→そもそも義母のお金だし、家の中で無くしたのでいつかは出てくるはずです。

 

毎日義母と生活していてストレスが溜まっているのでしょうが、私からするとどれもそんなに怒ることではないような気がします。

 

義母はすぐに謝っていましたし、無くなった封筒を義兄と一緒に探してもいました。

 

私の母は何か失敗しても、自分でないと認めず、基本逆ギレ。絶対に謝りませんでしたし、無くすことなど日常茶飯事。

アクセサリーもティシュにくるんで、ゴミ箱へポイ!!でしたし、一緒に探してくれるなんてこともありませんでした。

 

帰る当日も義母と一緒に昼食を食べようと迎えに行くと、まだ出かける準備ができておらず、ひとまず家に入り待っていました。

すると二階から義兄が降りてきて夫に「アイドリングしないでくんない?音が気になる」と、夫はほぼ無視し、タバコを吸いに外へ。

その数分後、何やら早口で聞きとれなかったのですが最後の方の「うっせえんだよ」だけ聞き取れました。そして窓を思い切り閉めまられました。

 

最初に義兄に言われたときに、私が気を利かせてエンジンを切りに行けば良かったのですが、もう少しで準備ができそうだったのでそのまま義母を待ってしまいました。

 

義母は「今のは私に言ったんだから、気にしないで」とフォローしてくれましたが・・・

 

その後すぐに夫が戻ってきたので、そのまま出掛けて食事をし、義母を自宅まで送りました。

義母に「謝りたい」と義兄に伝えてもらったのですが、暫く待っても2階から降りてこなかったので、結局謝罪できずに帰ってきてしまいました(夫は謝る気なし)。

 

今回の帰省ではいろいろ話し合わなければならなかったのに、さらに兄弟の距離ができてしまいました。